国王裁判で対立したジロンド・ジャコバン両派であったが、ロベスピエールや、サン=ジュストといった山岳派の演説が勝り、1793年1月21日、国王の処刑に至る。国外では全ヨーロッパを敵にし、国内では山岳派に圧倒され始めたジロンド派は、山岳派の主要人物の拘束を図る。
しかし、5月26日にロベスピエールがジャコバン・クラブで行った演説によって、ジロンド派は国民公会より追放され、さらに逮捕・処刑された。ここに、ジャコバン派独裁体制が確立する。
やがて、ロベスピエールが属する公安委員会が革命の遂行のため、あらゆる権限を有するようになる。次第に彼らによる独裁政治が始まり、反革命派の粛清といった名目の下、次第に多くの人が処刑される恐怖政治へと変化する。
大胆な政策の実行や、反革命派の粛清により、一応の安定をみたフランス国内であったが、山岳派内部で恐怖政治に対する見解の相違から、寛容派(ダントン派)、急進派(エベール派)に分裂する。両派の間に立つ中道派(ロベスピエール派)は、分裂した双方の派閥をそれぞれ粛清し、自らに権力を集中させ、恐怖政治を継続させた。
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極端な権力の集中と恐怖政治の実行により、ロベスピエール派は次第に孤立していった。やがてテルミドールのクーデターが起こり、ロベスピエールが失脚すると、同年11月にジャコバン・クラブが閉鎖される。
1795年、すべての政治クラブの活動が禁止されると、地方に存在していたジャコバン派の勢力も急速に衰退する。ただしナポレオンによるブリュメールのクーデター(1799年)時にはフランス全土におよそ一万人のジャコバン派とされる実勢力はあった。それらを統べるのは、ベルナドット将軍ではあったが、騒々しさの割りに将軍自身の勇気の無さと、まとまりの無さから自然消滅してしまう。
しかし、ジャコバン派の思想そのものはバブーフら共産主義の先駆とされるネオ・ジャコバンや、フランス7月革命、1848年革命などの19世紀の諸革命を通して受け継がれ、共産主義思想やロシア革命に受け継がれるのであった。